(有)亜麻公社 研究主任 内藤 大輔氏(32歳)。
「大事は即決、小事は情で動く」をモットーに活躍中。

農業大国・北海道に今新たな特産品が加わろうとしている。天然繊維として知られる麻の一種、亜麻(あま)である。実は北海道での亜麻栽培の歴史は明治時代まで遡り、かつては道内で85カ所もの亜麻工場があったという。この亜麻栽培の復活におよそ40年ぶりに取り組む会社が、有限会社亜麻公社だ。農家や大学など幅広い人脈を持つ同社は現在、北海道経済産業局の支援を受けて「北海道亜麻ルネサンスプロジェクト」を進行中。同社の前代表取締役であり現在は研究主任、また亜麻公社商品の販売会社である(株)北国生活社代表取締役の内藤大輔さんにこれまでの道のりをうかがった。
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亜麻とは中央アジア原産のアマ科の一年草のこと。冷涼な気候を好む性質のため、日本国内で栽培地に適しているのは北海道だけとされ、茎から採れる天然繊維を目的とする亜麻栽培が明治時代から行われていた。
戦中は軍需産業として活発だった道内の亜麻栽培も、戦後の化学繊維の台頭で縮小の一途を辿っていった。
「日本では昭和43年に士幌で作られていたという記録が最後のようです」と、(有)亜麻公社研究主任の内藤大輔さんは語る。その亜麻栽培がなぜ、現代に復活しようとしているのか。
2001年、道外からのIターンで就農を志していた内藤さんが、公共事業を手がける技術コンサルタント会社社長の橋本眞一さん(現・亜麻公社代表取締役)と出会ったことからすべてが始まった。
「橋本は公共事業に頼らない新しい事業を手がけたいと考え、歴史ある亜麻栽培に注目していたようです。そこに僕のような若いやつが飛び込んできまして(笑)。意気投合した二人で北海道の亜麻を復活させようと事業化の調査に乗り出したのです」。
淡い金色を「亜麻色」と呼ぶのは、亜麻の茎から採れる繊維のこの色に由来している。
ところが、国内生産をやめて久しい亜麻の種は日本にはなく、内藤さんたちは海外の知人のツテを頼って亜麻の種を手に入れた。借り入れた小さな畑で栽培し、試験的に茎から繊維をつくる作業に取りかかったものの、結果は惨憺たるものだった。
「昭和の頃と違い技術も設備も不十分なため、できた繊維は“等級外”レベル。そこで亜麻の茎ではなく、種の栄養成分に焦点を当てて事業計画を練り直すことにしました」。
亜麻の種からとれる油、亜麻仁油(あまにゆ)は不足すると生活習慣病の発症に関わるオメガ3系脂肪酸の一種。近年は厚生労働省も積極的な摂取を勧めている。酸化しやすい弱点はカプセル状のサプリメントならカバーできる…こうして健康食品としての可能性を掘り下げていき、最終的に「亜麻仁油サプリメント」の商品化が事業の柱に決まった。
一定量の亜麻を確保し続けるには広大な農地がいる。また、健康食品として売り出す以上、内藤さんたちは亜麻を無農薬で育てたいと考えていた。農業のプロの力が必要だった。
農家探しに奔走する内藤さんを、食の安全にこだわる当別の(有)大塚農場との“運命的な出会い”が待っていた。
突然農場に現れ、亜麻の復活に熱弁を振るう内藤さんの誠実な人柄に惹かれた大塚社長は、その場で亜麻栽培を受託。「大塚さんとの出会いがなければ、今の亜麻公社はありません」と内藤さんに言わしめるほどの堅い信頼関係を築いていく。
その後、大塚農場の紹介で亜麻栽培に関心を示す農家や酪農学園大学とのパイプもでき、さらには北海道立食品加工研究センター、北海道立中央農業試験場と、専門分野の協力者を徐々に見つけていった内藤さん。
亜麻栽培のめどが立ち始めた2004年、橋本さんと有限会社亜麻公社を設立した。
「とは言っても、この先どうしていいのかわからないというのが当時の本音で。助成制度を使おうと、『R&Bパーク札幌大通サテライト』(通称HiNT)を訪ねました。この選択肢は大正解でした。申請に必要な書類作りや事業計画のアドバイスの他にも、農業機械の選定に詳しい方を紹介してくださったりと担当の方が非常に丁寧に接してくださいました。助成金をいただいたのと同じくらい、新たな人脈を広げてくれたことに感謝しています」。
また、営業・販売活動をほぼ1人で担当していた内藤さんにとって相談相手ができたことも大きな収穫だった。「担当の方と話すことで自分のモチベーションが上がっていくのがわかりました。当社にとってHiNTの存在は本当に大きいです」と、力説する。
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