写真左から留萌有機肥料株式会社代表取締役 松重淑郎氏(80歳)、北海道アミノサン米普及会会長 水元秀彰氏(65歳)、
同会参与 河端淳一氏(68歳)

海の恵みを大地に返す。北海道西北部の港町、留萌市から産出される年間約3千トンのニシンの加工残さからアミノ酸を豊富に含む天然有機肥料「スーパーアミノ10」が誕生した。その肥料を与えられて育った道産米はふっくらと大きく実り、旨味も豊か。「アミノサン米」の名で商標登録が認められ、普及団体も結成された。おいしさからさらなる個性が求められる道産米競争時代に一石を投じる期待の産学官モデルを紹介する。
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2008年に開港70年を迎える人口約2万7千人の留萌市。基幹産業は水産加工。輸入されるニシンは年間約1万5千トンにものぼり、昭和の時代が終わるころにはカズノコや身欠きニシンを除いた3千トン近くの加工残さの処理が重い課題となってのしかかっていた。「環境への配慮が行き届かなかった時代には街から離れた山に穴を掘って廃棄していました。市内の加工業者がこぞって捨てるものだから土や川を汚してしまう。そのままではいけないと対策を講じる役割を任ぜられたのが当時留萌支庁の職員だった私です」と留萌有機肥料株式会社の松重淑郎社長は起業のいきさつを振り返る。
長年、行政の立場から農業を専門としてきた松重さんだったが資源の再利用や製品開発に関しては門外漢。真っ先に知人であり日本を代表する農業研究者である故・相馬暁氏のもとを訪れたという。そのときに授けられたのが北海道農業試験場(現北海道農業研究センター)万田博士(現北里大学教授)の「ニシンを発酵させてたい肥化する」というアイデア。同じく水産加工を基幹産業とするノルウェーでの魚加工の残さから飼料をつくる先例にも学び、徐々に方向性を定めていった。

留萌有機肥料(株)本社(札幌市豊平区)内に「北海道アミノサン普及会」事務局も併設。連絡先も兼用
大役を負った松重さんは周囲の協力に支えられながら1989年に留萌有機肥料を設立。留萌市街から6キロ離れた工場で4年の歳月をかけ、ニシンの匂いも形も残さない天然有機肥料を完成させた。万田博士の指導を得て構築した「無公害型」の製造方法は以下のとおり。
港からは日々新鮮なニシン原料が送られてくる。腐敗を防ぐため有機酸を混入する。均一に混ざるよう事前に加工残さを細かく砕くひと手間も怠らない。このあと発酵槽に入れた材料を40度前後でじんわりと約10時間かけて加熱することで発酵を進め、アミノ酸化を促進する。「ここでのポイントは発酵槽内の芯棒をゆっくりと動かしてかくはんすること」と松重社長。内部の温度を均一にし、空気に触れさせない嫌気性発酵を進めるためにも大切な作業だという。
発酵後は消化されなかった骨や皮の沈殿物とアミノ酸化したエキス、表面の油膜の三層に分離する。この真ん中のエキス層が天然有機肥料「スーパーアミノ10」となり、1992年から道内での販売が始まった。

商品名「スーパーアミノ10」は天然肥料では珍しいアミノ酸1割(=10)という高含有をアピールしたもの。加熱やかくはんなど独自の製造技術を開発した
ようやく完成した「スーパーアミノ10」を米づくりに生かせないものか。留萌有機肥料を支援する道立農業試験場OB及び農業改良普及員OBたちの口コミも広まり、雨竜郡秩父別町と妹背牛町の米農家が試験栽培に名乗りを上げた。
どの時期にどれくらいの量を散布すればいいのか、メーカーにとっても初めての試み。農家との二人三脚で進められた手探りの収穫には嬉しい評価が待っていた。「根の張りが良くなった」「粒が大きく育つ」「炊きあがりの旨味もある」。手応えをつかんだ。
だが胸を張って市場に出すには収穫した米の品質の専門的な分析・評価が必要となる。次のステップを模索する松重社長たちに手を差し伸べたのが、数々の産学官マッチングに成功するHiNTだった。相談をもちかけられるとすぐにアミノ酸分析を専門とする北海道大学理学部を紹介し、共同研究が実現。「スーパーアミノ10」未使用の通常米と比較し、米の中に旨味のもととなるグルタミン酸をはじめ17種類ものアミノ酸がより多く含まれているという貴重なデータが発表された。「北海道大学さんとのご縁は私どもにとってもうひとつの嬉しい収穫。HiNTさんのご尽力のおかげです」と松重社長はいう。

現在、「スーパーアミノ10」の使用方法や圃場管理に関する指導は「北海道アミノサン米普及会」が行っている
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