株式会社ニッコー

技術は世のため、ひとのため
食の加工現場に新風を送る技術者集団

北の港町・釧路に“世界初”の技術を有する機械開発メーカーが存在する。ホタテ貝自動生剥き機や三次元計測生魚定貫切身装置…佐藤厚社長が率いる技術者集団、株式会社ニッコーの製品は近年当たり前のように全国の水産加工現場で使われている。現在は産業技術総合研究所(以下、産総研)とタッグを組み、次なる技術開発も進行中。その実現を誰よりも心待ちにしている佐藤社長にお話をうかがった。 (2007年12月1日)

※本ページの内容は取材当時のものです。

実現不可能といわれた加工現場の難題に挑戦

「釧路の片田舎にいる私どものような企業が、日本のトップレベルの技術者が集う産総研さんと一緒に新しい技術開発に取り組めるとは夢にも思っていませんでした」。

佐藤厚社長はそう謙遜するが、株式会社ニッコーも創業以来30年間、エレクトロニクス技術を活用した数々の新製品を開発し続けてきた国内トップクラスのエンジニア集団。手作業が中心だった食の加工現場に画期的な機械製品を送り続けてきた。

同社第一号製品にして代表製品の「オートシェラー」は、ホタテ貝を入れるだけで自動的に殻から貝柱を傷つけずに取り分けられる“世界初”のホタテ貝自動生剥き機。生魚を重量・幅・長さなど希望の規格通りに揃えてカットできる「スーパープロフェッショナル」は“世界初”三次元計測生魚定貫切身装置として、「第一回ものづくり日本大賞」経済産業大臣表彰優秀賞を受賞した。

日頃から広くアンテナを張り巡らせているHiNTが食品加工業界に次々と新風を巻き起こすニッコーに目を止めたのも、ごく自然な流れだったに違いない。2004年11月、釧路工業技術センターの紹介でHiNTの事務局が同社を訪問した日に技術開発協力の芽吹きが始まった。情報・意見の交換を幾度か交わした後、2006年からは具体的な技術開発案件の発動を目指して技術支援アドバイザーが釧路と札幌を往復することになった。

スーパープロフェッショナル 機能だけでなくデザインでも高い評価を集める「スーパープロフェッショナル」。2004年には第17回北の生活産業デザインコンペディション奨励賞などを受賞した


機械に“目”をつける新プロジェクト始動

佐藤社長はアドバイザーの訪問に驚きながらも、HiNTの活動内容に始まる熱心な説明を聞くうちに徐々に心を動かされていった。
「私のものづくりのモットーは明快です。“技術は世のため、ひとのため”。社会で役立ったときにはじめてその技術の価値が生まれると考えています。ですから、HiNTさんに仲介の労をとっていただき、産総研さんがお持ちの最先端のシーズと私どもが加工現場から集めてきたニーズを重ね合わせて世の中に求められる製品を生みだせるならと思い、こちらからも“こういうことを実現したい”という要望を出すことにしました」。

そうして提出されたのが次の2つのキーワードだった。ひとつめは現在も活用中の三次元計測技術をさらに上回る「高精度の三次元計測システムの実現」。ふたつめは黙視では確認できない、魚や野菜など食材の内部を知ることができる「CTスキャナ技術の活用」。 「食品業界にいる我々にとって、『食の安心・安全』は最優先項目です。品質管理や異物の混入防止を徹底するため、機械にもベルトコンベアで運ばれてくる食材の善し悪しを見極める“目”をつけたい」と佐藤社長は語る。


数ある中小企業支援制度からベストのものをHiNTが選出

ニッコーの要望を聞いたHiNTでは早速、産総研でのパートナー探しを始め、最終的に人工知能の研究に関わる専門チームをピックアップした。研究室のあるつくば市で関係者全員が一堂に会した席では再度このプロジェクトに関する互いの意志や詳細を確認し、全員の意気も上がった。残ったのは研究費の調達という最大の難問。
「ここでも頼りになったのがHiNTさんです。アドバイザーの方が山とある補助金制度を調べつくして、見事このプロジェクトが該当するようなものを見つけてきてくださった。あの熱心さには本当に頭が下がる想いでした。おかげで、今年の9月に中小支援型開発制度の採択が認められ、本格的にプロジェクトを始動することになりました」。

さらに現在、ニッコーはもうひとつの産学官プロジェクトにも参加している。 「今度は産総研さんからご紹介いただいた名古屋の電気機器メーカー、古川電機製作株式会社さんのお力も借りて、光触媒を活用した除菌効果の高い空気清浄機を試作中です。将来的には加工場全体をカバーする吸排気システムの提案などのビジネスチャンスにつなげたい」と佐藤社長は熱い期待を寄せている。

スーパープロフェッショナル 古川電機製作株式会社古川農夫之社長や(独)産業技術総合研究所中部センター垰田博史氏との打ち合わせの場としてもHiNTを活用


「オートシェラー」誕生秘話、製品なしの大胆営業

前述の“世界初”ホタテ貝自動生剥き機「オートシェラー」には、まるで映画のシナリオのような誕生秘話がある。1977年、ものづくりに魅せられた若き佐藤社長は「自分でつくった製品を売りたい」と勤めていた東京の会社を辞め、地元釧路で起業を決意する。

当時、北海道のホタテ漁は養殖にシフトし1日トン単位で運ばれてくるホタテの殻を剥く、ヒモをとるなどの加工はすべて手作業で行われていた。人海戦術にも限界はある。そこに商機を見いだした佐藤社長だったが、試作機を作る資金はどこにもなかった。
「今では考えられませんが、当時は製品がないのに営業していました(笑)。ホタテ貝の自動生剥き機を作れますが買いませんかと。技術力には自信がありました。絶対できる。ただ誰も話に乗ってこなかった」。

そこに理解者が現れた。サロマ町のホタテ加工会社社長が関心を示す。機械化は先行投資だ。この若者に賭けてみよう。なんと存在しない製品の一号機を買い上げた。
「作る資金がないことは正直にお話していたので、その社長が契約金の一部を前払いしてくれました。3000万円の小切手をもらったときは心臓がひっくり返りそうになった。早く会社の仲間に知らせたくて車を飛ばしたらスピード違反で止められました(笑)」。

技術指導を通して相互関係の構築やニーズの発掘に役立て、今後の事業展開につなげていく
ニッコーの代表製品「オートシェラー」。一号機を購入してくれた社長が亡くなった後もご家族とのおつきあいは変わらず続いているという


国も研究者も民間も同じ目線、変わらぬ情熱で

その後試行錯誤を経て出来上がった「オートシェラー」試作機の内覧会当日、傷ひとつない貝柱を見て人々は歓声を上げた。受注も増え始め、ニッコーの快進撃が始まった。 「今のように助成制度もなにもない時代に、たくさんの方に助けていただいた経験は当社の大きな財産です。あれからつねに地元釧路のためにできることを模索し走り続けてきましたが、HiNTさんや産総研さんとの出会いでさらに視野を広げることができました。

関係者の皆さん、非常に熱心に取り組んでいただき心から感謝しております。産学官連携というと敷居が高いイメージを持たれる方もいるようですが、まずは一度HiNTさんを訪ねてみてはいかがでしょうか。国も研究者も民間も同じ目線に立って世の中に役立つ技術を生みだし、我々民間はその実用化で業績が上がれば税金としてまた国に還元していく。この好循環の輪をつくりだすことこそ、お世話になった方々への恩返しだと信じています」。

株式会社ニッコー

  • 代表者/代表取締役 佐藤 厚
  • 従業員数/50名
  • 設立/1977年12月15日
  • 資本金/3,000万円
  • 事業内容/食品・水産・食肉・農産 各加工用機械の企画、開発、製造、販売
KCMエンジニアリング株式会社

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