北のものづくりサポーター

北海道の産学官連携の要になる人々を紹介します

この記事の内容は取材日(2012年2月22日)時点のもので、現時点では組織構成などが変更されていることがあります。

独立の地、十勝に立つ帯広畜産大学

 帯広畜産大学が立地する十勝平野は日本有数の食料供給基地。遠くは明治の開拓時代から農業生産の営みが続き、道内でも突出した大規模畑作を中心に発展を遂げてきた。

 帯広市のホームページにはこんな文章が載っている。

「十勝の開拓は、北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく、晩成社をはじめ、富山、岐阜など本州からの民間の開拓移民により進められました。」

(帯広市HP「語り継がれた帯広の歴史」より抜粋)

 行間から十勝帯広のたくましさが立ち上ってくる一文だ。そんな独立心旺盛な地に昭和16年、帯広高等獣医学校が創立。8年後には国立大学唯一の獣医農畜産系の単科大学として帯広畜産大学が設立された。知の集積である大学では実学をもって地域貢献を目指し、早くから産学官の窓口を設置。現在は「地域連携推進センター」(以下、センター)の名称で地域の相談に乗っている。

センターの存続を懸けた就任依頼に承諾

  センターには産学官連携コーディネーターが3人いる。経歴が長い順に田中一郎さん、藤倉雄司さん、丹治幹男さん。全員が博士学位を取得した研究者出身であるため、「研究者の立場や気持ちがわかる仲介役」として信頼を集めている。

 今回の主人公の1人である田中さんは帯広畜産大学の卒業生。大学院の修士課程修了後、東京の製薬会社で牛の皮膚炎の予防治療にあたるかたわら日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)の研究生に登録。同大学院で博士学位を取得した。

 やがて製薬会社を勤め上げた平成5年、かねてからの夢だったニュージーランド長期滞在の準備を進めていたときのことだった。「今、東京駅にいるんだが」、突然思わぬ訪問者がやってきた。当時のセンター長が単身上京し、退職するコーディネーターの後任にぜひ田中さんを、と直談判をしにきたのだ。

「そのころセンターのコーディネーターは1人だけ。後任者が決まらないとコーディネーション機能センターの存続自体も危うくなるという話でした」。センター長としてはおそらくその状況下で断らない田中さんの人柄を見込んでのことだったのだろう。
「私がどんなにニュージーに行きたいかを語っても全部受け流されるんだ(笑)。すでにいただいた餞別はそのまま帯広行きの餞別に変わりました」。一本の電話から始まったセンター勤務は今年10年目を迎える。

豊かな海外経験、NEDOフェローから昇格

 二人目の主人公、藤倉さんは札幌出身。こちらも帯広畜産大OBで、学部卒業後に青年海外協力隊の一員になりコロンビアに4年半滞在。その後ネパールの畜産を研究し、岩手大学…【次のページへ】

田中 一郎さん

帯広畜産大学地域連携推進センター
産学官連携コーディネーター
田中 一郎さん

帯広市

帯広市(おびひろし)は、北海道十勝総合振興局管内にある市。十勝総合振興局所在地で、道東地方で釧路市の次に大きな都市で十勝地方の拠点都市。人口は道内第6位、都市圏人口は道内第4位で道東最大の都市圏人口を有する。
帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883年(明治16年)5月に入植したのが開拓の始まりである。
帯広を含む十勝の農業は大型農業機械による大規模畑作経営が中心である。
(Wikipedia:帯広市より抜粋)

産学官連携コーディネーター

企業や大学と行政機関との共同研究や受託研究、協力協定を企画・調整・立案したり、企業等のニーズと大学・研究機関の有する技術のマッチングなどの業務を行う。


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