北海道の産学官連携の要になる人々を紹介します
人口約20万人、東北海道の拠点都市である釧路市に、釧路工業技術センターが開設したのは平成14年のことだった。財団法人釧路根室圏産業技術振興センターが運営する。釧路といえば、釧路港を有する水産業、製紙、炭鉱が昭和20年代からまちの三大産業を担ってきた。大半の地場企業がいずれかの産業に関わってきた。
しかし平成を迎えた頃、時代の趨勢を敏感に察した地元経済界からは新たな産業の創出を期待する声が高まってきた。幅広い技術に対応する地場の支援機関が必要だ。やがて検討委員会が立ち上がり、およそ10年越しの準備期間を経て釧路工業技術センター開設にこぎつけた。地元経済界がセンターに寄せる期待は相当なものだった——。
そうひしひしと感じていたのは、釧路・根室に縁もゆかりもないまま職員募集の面接室に座った原田隆行さんだった。「なにしろ面接官が10人くらいいたでしょうか。行政関係者はもちろん、地元の産業界を代表する方たちがズラリと並んでいて、何をお話したのかはまったく覚えておりません」と笑いながら当時を振り返る。
前身は大手自動車メーカーのエンジン開発部門に7年間勤務したバリバリのエンジニアだったという原田さん。北海道には旅行で訪れ、いつか広大な自然に囲まれて暮らす姿を思い描いていたそうだ。仕事にやりがいはあったがより広い世界を見たくなり、平成14年、とうとう夢の実現に踏み出した。
釧路を選んだ理由は道内でも比較的雪が少なく、釧路湿原など手つかずの自然が身近に残っているところが気に入った。「試しに」と夫婦で冬の釧路に滞在を決意したときに、折よくセンターの職員募集を耳にした。
とぎれとぎれの面接の記憶によると「センターの仕事を通じてさまざまな人に出会い、広がりのある人間になれれば」と応募動機をアピールしたという。エンジニアから技術コーディネーターへ。32歳の転機だった。
初仕事は、「氷冷熱エネルギー活用低コスト食糧貯蔵システムの実用化への取組み」。(…次のページへ)
財団法人 釧路根室圏産業技術振興センター
釧路工業技術センター
技術開発課長
原田 隆行さん
「センターの仕事を通じてさまざまな人に出会い、広がりのある人間になれれば」
I(アイ)ターンは東京などの都市部から、出身地などではないゆかりのない土地に移り住むこと。その土地の魅力に惹かれて、新たに職を探すなどして移住する。
釧路市(くしろし)は、北海道東部、太平洋沿岸にある市である。市内に日本製紙・王子製紙の二つの製紙工場があるなど、工業が盛んな街で、北海道最大の穀物輸出入港釧路港を有する港湾都市である。また、釧路湿原や阿寒湖など著名な観光地を有する。
(Wikipediaより引用)